3.11

2011年3月11日 東日本大震災から今年で8年が経ちました
あっという間のような、まだ8年のような、不思議な気持ちです
自分の記録のためが一番ですが このブログを目にして頂いた方へ
もしも何か伝えられることがあるのなら
福島で震災と原発事故を経験したウェディングプランナーとしての立場で
いつかブログに記そうと思っていた一組のお客様との忘れられない出来事があって
この日にそのことを残そうと思います

私は当時式場のプランナーとして勤務していました
福島は大きな県なので、住む地域によって受けた被害はまったく違い
自分も大きな地震の被害を目の当たりにしながら、福島で起きている
もっと大変な現実をどのように受け止めるべきか、冷静に考えていた気がします

3月11日以降も結婚式を控えた新郎新婦様がたくさんいらっしゃいました
まず生かされていることをみんながありがたいと感じていただろうけれど
ご身内を亡くされ、結婚式自体を考えることもできなくなってしまったお客様
ほとんど準備を終えていた中、結婚式を迎えることができなかったお客様

当たり前にやってくると思いお二人と一緒にご準備してきた日は
「普通の日常」がなければ叶わないことを知りました
どれだけ願おうと どれだけ努力しようと 自分たちの力ではどうしようも
ないことがあるのだと思い知らされました
これだけ多くの人の命が犠牲になっている状況で、二人の門出がおめでたいと
純粋に捉えることは、みんなが難しかったと思います

私の住む福島市は内陸のため、津波による被害は受けていませんでしたが
建物自体は結婚式ができる環境が整っていった中、7月に結婚式を控えた
お二人とご両親と今後についてお話しするためお会いしました
ご両家の決断は「日程はそのまま行うけれど新婦家は家族以外呼べない」と。
そのご両家は新郎家様が福島、新婦家様は他県のご出身でした

福島が安全と言えないから 他県からのゲストは呼べない
「安全」というのは、空気のことです

新婦様はずっとうつむいて 周りのお話しを聞かれていました
ご両家もゲストのことを考え抜いて出した決断だったからこそ
来てくださるはずだった ご自分の大切な友達や職場の方やご親戚…
「お声をかけることを遠慮する」という決断がどれだけ辛かったか、悔しかったか
みんな生きているのにね
そう伝えながら、結婚式のお打合せで初めて悔しくて新婦様と一緒に泣きました

その時は 福島に来て なんて誰も言えなかった
日常を取り戻してきても 目には見えない大きな壁があって
福島が孤立してしまったようでした

住んでいたってわからない 目に見えない シーベルトなんて
聞いたこともない単位でその数値が高いのか低いのかもわからない
避難するのか 福島に住み続けるのか 誰もが悩んだ 私も悩みました
答えは人それぞれ 何が正しいのかなんて今でも誰もわからないことです

結婚式が挙げられるだけでありがたいと思う
そうご両家はおっしゃいました
それでも 一生に一度の晴れ姿を大切な人たちにどんなに見せたかっただろう
一緒に写真が撮りたかっただろう 一緒に笑っていたかっただろう
どこにも行き場のない想いで新婦様はいっぱいだったと思います

そして迎えた当日、4人の女性が会場に見えました
「〇〇さんのお部屋はどちらですか?」と聞かれ
お聞きしてみたところ新婦様の職場の方でした
招待はされていないけれど、一目だけでもどうしても見たかった
と、福島まで来てくださったのでした
お部屋でご対面された新婦様は涙がずっとずっと止まらないまま
皆さんと抱き合っていました
嬉しくて泣けるということが特別なことなんだって、その時ほど強く
感じたことはありません

フリーになってからも
ご家族を津波で亡くされていたり 家を失っていらしたり
原発事故で避難を余儀なくされたり 辛いご経験を乗り越えて
結婚式をご依頼頂いた新郎新婦様にたくさん出会ってきました

きっと私たちに話すことが辛いだろうことも
一つ一つ思い出にして 聞かせてきてくださったから
その想いを結婚式に乗せて一緒に作り上げられたらと思うのです
皆さんの前向きさや立ち上がる強さに、どれだけ勇気をいただいてきたかわかりません

震災に関わらず 大事な人が明日元気かはわからない
ありがとうがいつでも言えるとは限らない
当たり前の幸せほどありがたいものはないって
毎年この日に初心に帰るようにしたいなと思ってます

ecruができることは「結婚式」それだけですが
結婚式を通して 少しでも笑顔が広げられるようにと願っています

2019年3月11日
ecru-ordermade wedding-
代表/ウェディングプランナー 梶原映実
福島 -Fukushima.Japan-